『書くための名前のない技術 case 3 千葉雅也さん』
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「文章を書くこと」に興味があります。それはおそらく憧れと強い苦手意識から来ています。
大学生のときにアウトライナーに出会ったことで、はじめて文章が書けるようになった感覚があります。「立派な文章」という意味ではありません。「始めがあって終わりがある文章」という意味です。そのくらい文章を書くことが苦手でした。
頭の中で文章を組み立てることができず、それどころか何について書くか決めることさえできず、書いてみるまで何が出てくるかわからない私は、アウトライナーを通じてはじめて、多少なりとも書くことを身につけられたのです。
そのインパクトがあまりにも強かったために、今ではアウトライナーを使って文章を書き、考える技術について考え、紹介することがライフワークのようになってしまったわけですが。
その一方で、さまざまな書き手の個人的な「(私とは違う)書き方」を聞いてみたいという気持ちが長いことありました。
「文章の書き方」についての本は世の中にたくさんあります。いわゆる「知的生産」を扱う本もその範疇に入るでしょう。でもそこに書かれていることがすべてではないだろう、という思いがずっと拭えなかったのです。
長年アウトライン・プロセッシングについて考える中で学んだのは、文章を書く方法は人の数だけあるということです。「文章の書き方」として紹介されるような方法はもちろん役に立ちます。しかし文章を書く上でそれらと同じくらい重要な役割を果たしているのは、一般化できない属人的な技術なのです。ひょっとして書いた本人にさえ意識されていない、小さくて具体的で現実的な何かです。
それはツールの使い方のこともあれば、ワークフロー上のちょっとしたコツのこともあれば、心構えやマインドセットのこともあるでしょう。「技術」というよりは「工夫」の範疇に入るものもあるかもしれません。
そんな名前のない技術たちに陽が当たることは通常ありません。本に書かれることもないし、「○○法」というような名前を付けられることもありません。なぜならそれらは「取るに足らないこと」と思われているからです。でも現実の執筆では、こうした名前のない小さな技術が煮詰まった状況をブレイクスルーさせてくれることが多々あるのです。
そんな個人的な「書くための名前のない技術」に光を当てたい(そして自分が学びたい)というのが、このインタビューの第一の目標です。人の数だけある属人的なものだからこそ、いったん光が当たれば他人の役にも立つ(ことがある)はずです。
Case 3は気鋭の哲学者・思想家であり、昨年小説家としてもデビューした千葉雅也さんです。
===本書の目次===
Part 1 千葉雅也さんインタビュー
書き手としての活動
MacとDTPと作文
見た目と内容がつながっている
DTPからWordへ
書くための道具と環境
WorkFlowy → Ulysses/Scrivener → Word
喫茶店と有限化
コアタイムは3〜4時間
業務はWorkFlowyで
WorkFlowyの構造 ― タスクと個別プロジェクト
フリーライティングのための場所
これをやることが仕事をすること
書くための技術とプロセス
方法としてのTwitterとアウトライナー
生活ツイートから『アメリカ紀行』を書く
連続ツイートのストックから単発原稿を書く
ツイートには素材の段階で他者の評価が入っている
離散的なものを寄せ集める感覚
「こんな全体になるんだ」という驚きとともに書き終える
映像的につなぐ
本当の結論が最初にあることはない
総合的なアウトラインと分析的なアウトライン
アウトラインはトピックリストとロジック
思考としての文章、美学的な文章、結論
「書かないで書く」ということ
思いついた順番に、思いついた言葉で
Part 2 千葉雅也さんの「書くための名前のない技術」
書くための道具と環境について
Point 1:心地よい形で時間と場所を有限化する
Point 2:3〜4時間以上は無理に書かない
Point 3:執筆と生活がツールを介してつながる
書くための技術とプロセスについて
Point 4:ツイートを執筆メモとして使う
Point 5:思考としての文章と美学的な文章を分ける
Point 6:思いついた順番に、思いついた言葉で書く
Point 7:映像的につなぐ
せっかくなんで、ツイートで原稿の種まき、というのを真似してやっておこうか。
「レイアウトと言葉の内容が全部つながっている」。これが一つのポイント。ビジュアル系。だからこそ、言葉だけを扱えるアウトライナーが、プロセスの分割に役立つ。それとともに、最後はWordでなけれいけない、という話とつながってくる。
WorkFlowy→Ulysses→Wordと、WorkFlowy→Scrivener→Wordという二つの流れ。単発原稿と本の作り方の違い。この辺の違いは、倉下も同様にある。ツールの流れは異なるが、Ulyssesで本を書かない、というのは似ている。
有限化装置としての喫茶店。倉下は喫煙しないが、それでも制限がある場所で集中して作業する、ということを「日常的」にやっているのは同じ。また、締め切りが切羽詰まっていると、喫茶店でなくても大丈夫、という点は大いに頷けるし、示唆にとむ指摘でもある。
これは何度も書いているが、1日で「集中して」執筆できるのはせいぜい四時間まで。それ以上は、次の日以降の「前借り」をしているだけ。しかも金利が高い。
タスク管理ツールとしてのWorkFlowyについて。これは、一度以上アウトライナーでタスク管理に取り組んだ人ほど楽しめる内容。でもって、実用的でもある。この話だけで十分記事になるが、とりあえず参考になりました(食い入るようにスクショ画像を見つめたのは内緒)。
一番参考になったのは、コンプリートをよく使われている、という点。倉下はだいたい消すか残すかの二パターンなので、今後はコンプリートも活用していきたい。
二種類のフリーライティング「場所」の話も面白かった。中断していたプロジェクトから復帰するときに、「何を考えればいいかを検討する」というのは本当に大切だと思う。倉下もよくやる。あと、アウトライナー以前はそういうことをまったくやっていかなった、というのも興味深い話。
ちなみに僕は、Scrapboxでデイリーの記録とプロジェクトごとの記録を両方残していているが、アウトライナーでそれをやる発想はいままでなかった。何がその発想を妨げていたのか、ちょっと検討してみたい。
連ツイから原稿を起こすというのは、たとえば結城先生もよくやっておられる。Twitter中毒の我々のような人間にとっては非常にお手軽な方法。また、リアクションを確かめられる、という点もパブリッシュならでは。
「選択したところが青くなったりするのがイヤ(笑)」
この本で一番笑ったところ。でもって、共感もした。
「何をどうむちゃくちゃに書いたって、それを読めば全体としてまとまっていることになるので、そこを責任もってまとめなきゃいけないと思うのをやめることじゃないですか」
たぶんこの本で一番啓蒙的なところ。
倉下は、(強いて言えば)責任派だが、かといって「全体としてまとまっている文章なんてこの世にない」という指摘は頷かざるを得ない。文章は、読者の中で完成する。言い換えれば、読者の中で全体化する。そこにズレのポイントがあるし、だからこそ面白い。
結論は後から出てくる。そりゃもう、そうだ。このツイートだって、次にどんな言葉をおくのか、ぜんぜんわからないままに書いているわけだし。それはサイズを大きくしたって同じことだと思う。
分析的なアウトラインと総合的なアウトラインの話は、『「リスト」の魔法』の掘り下げるためのリストと列挙するためのリストの違いと呼応するだろう。
「レイアウトと内容が一体になった状態ではじめて本当の結論がでてきます」
この本で一番しびれたところ。文章における見た目とは何か、という問いが浮かんでくる。
「書かないで書く」ことについては、倉下も何度も書いているが、ある構えを要求する「書く」という行為から遠い場所で、書くことをすること。でも、案外それは難しいので、ツールの切り替えが役立つことがある。
千葉ぼくにとって、これをやることが仕事をするっていうことのメインなんですよ。その結果としてアウトプットというものがあるんです。
Tak,Masaya Chiba. The unnamed writing method case 3 Masaya Chiba (Japanese Edition) (Kindle の位置No.481-482). Tak. Kindle 版.